「デス・ストランディング」2020に生まれた偉大なゲーム

 目次

 

デスストランディング

 

「デス・ストランディング(通称デススト)」は2020年に発売された、小島秀夫監督作品のビデオゲームです。

 

普通、誰かの作ったビデオゲームを「〇〇監督作品」と呼ぶことはありませんが、小嶋監督の場合は別です。彼は世界的に人気のあるゲームクリエイターで、英国アカデミーからフェローシップ賞を受け取るなど、高い評価を得ている人物です。

小島秀夫監督

小島秀夫監督

小島秀夫監督作品でもっとも有名なのは、「メタルギア」シリーズです。

 

ジャンルは超兵器「メタルギア」をテーマにしたいわゆる「戦争ゲーム」ですが、映画さながらの演出やストーリー展開などから、ゲームの枠を超えて高く評価されていました。

 

 

メタルギアシリーズ完結後、小島監督はゲームではなく映画を作りたかったそうです。しかし、最終的にはソニー(正確には、プレイステーションを開発、販売している子会社)の傘下で新スタジオを立ち上げることになります。

 

そして製作されたのが、「デス・ストランディング」です。

今回は、それがゲームなのかをお伝えしましょう。

デスストランディング、ポスター

「物を配達するゲーム」

デス・ストランディングは、「ただ物を運ぶゲーム」です。

正確に言えば、途中で敵に遭遇したり幽霊的な存在から逃げたりすることはあります。しかし、このゲームで求められることは基本「頼まれた物をA地点からB地点に届けるだけ」です。

デスストランディングプレイ画像

背中に背負っている物が、届ける荷物

なぜ物を配達するのか、という背景には当然ストーリーがありますが、それはまたの機会に説明したいと思います。

 

もしあなたがデス・ストランディングをプレイしたことがなければ、この物を運ぶというゲーム性が、はたしてゲームとして面白いのかと疑問を感じるでしょう。

しかし、この「物を運ぶ」という行為は予想以上に面白さを秘めていました。

 

「物を運ぶ」というゲーム性。その裏に隠れた、もっと大きな遊び。

「配送」や「運搬」という言葉を聞いて、どのようなイメージが湧くでしょうか?ほどんどの人が思い描くイメージは、ビデオゲームに当てはまらないものばかりでしょう。

 

しかし、デス・ストランディングで求められる行動は、まさに「配送」「運搬」です。

ある場所からある場所へ物を運ぶクエストを受注して、長い時間をかけて運搬します。重たいものを持てばバランスを崩しますし、地面にアイテムを落とせばクエスト達成時の評価が下がります。

さらに、「雨に濡れた物は劣化する」というゲーム独自の設定によって、背中に乗せた荷物はみるみるうちにボロボロになっていきます。 

デス・ストランディング画像

はたして、このようなストレスばかり与えてくるゲーム性のどのようなところが面白いのでしょうか?

 

私は、「物を運ぶ道中に、プレイヤーが作り出した遊び」こそがデス・ストランディングの面白さなのではないかと考えています。

 

 「プレイヤーが作り出した遊び」とはどのような物でしょうか?

 

それは、あなたが小学生の時、学校の帰り道で無意識に始めていた遊びに似ています。

例えば、見つけた適当な小石をどれだけ遠くに蹴り飛ばせるかという遊び。白線を踏まないように横断歩道を渡る遊び。美味しい蜜が出る花を探す遊び。または、もっと単純に誰が一番先に目印まで着くことができるか競争する遊びなどです。

「帰宅」という行動自体は、別に楽しさを生み出すものではありません。しかし、その道中で自由に遊びを作り出して「帰宅」という行動の間に楽しさを感じることはできます。

  

同様に、デス・ストランディングで求められる「物を運ぶ」こと自体も楽しさを生み出す物ではありません。しかし、小学校の帰り道のように、プレイヤーはその道中で自由に遊びを作り出すことができるのです。

 

例えば、いかに荷物を壊さないルート取りができるかという遊び。できるだけ効率よくアイテムを使ってクエストをこなす遊び。どこに梯子を設置したら後でまた使い安いかを探す遊び。いかに自分があらかじめ決めたルートに沿って進むことができるかを試す遊び、などです。

プレイヤーはクエストの過程でこのような遊びを自然と設定し、それを面白いと感じます。

デスストランディング画像

確かに、デス・ストランディングのクエストで求められることは単純で単調です。しかし、その道中で面白さを感じさせ、ひいてはゲーム全体としての楽しさを提供しているのは、プレイヤー自身が作り出した遊びなのです。

 

 デス・ストランディングの何が偉大か

デス・ストランディングが特殊なゲームだとして、どのようなところが偉大だと言えるのでしょうか?

私は、それは「人は、誰に言われるまでもなく遊びを作り出すことができると証明したこと」だと思います。

 

普段私は、「楽しい感覚にさせられる」ためにビデオゲームなど娯楽をします。ビデオゲームを通して、ゲーム製作者に楽しい気持ちにさせられることを期待しているのです。

もちろん、デス・ストランディングにも同じことを期待し、そして実際に楽しみました。

 

しかし、デス・ストランディングの場合は楽しさの後に疑問が残りました。それは、冒頭に投げかけた疑問と同じ「どうして、物を運んだだけで面白いんだろう」というものです。

 

私は、小嶋監督はあえてゲーム内のクエストを「物を運ぶ」という単調なものに設定してのではないかと考えています。

もし、ゲームが「人を楽しませる」要素で溢れていたら、誰も自分が遊んでいるなんて気づくことができないからです。

これに気付かせるきっかけを与えたことこそが、デス・ストランディングの偉大さだと思います。

 

実はこの「人は自由に遊びを作って遊ぶ」ということは、デス・ストランディングの裏テーマでもあります。

ではそもそも「遊びを作る」ということは一体どんな意味を持っているのでしょう。

デスストランディングプレイ画像

 ヒトは「遊ぶ人」である

 私たちヒトの生物学的な名称は「ホモ・サピエンス」です。ご存知の通りこれは「賢い人」という意味ですが、別の見方をすれば、ヒトは賢いからこそヒトなのだという意味にもなります。

 

では、人類は賢いがために、ここまで"繁栄"できたのでしょうか?

 

これに異を唱えたのがオランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガです。

彼は学者として世界中のさまざまな歴史を比較し研究しているうちに、ある結論に辿り着きました。それは次のようなものです。

 

「人は賢いからここまで文明を築き上げられたのではない。人が繁栄した背景にはいつも遊びがあった。遊びの中で面白さを感じて夢中になったその結果として、ここまで活動的になれたのだ。だからヒトとは"遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)"だ。」

 

一見突拍子もありませんが、私たちに「"遊ぶ"という行為を過小評価しているのではないか?」という疑問符をなげかけている点で有用な意見です。

 

日常は退屈な行動で満たされています。そしてほどんどの場合、ただ退屈なものだと受け入れて生活します。

私たちがすることといえば、その退屈な時間ができるだけ早く過ぎ去るように努力し、娯楽の時間をできる限り増やそうとすることだけです。

しかしそれでも、娯楽が与えてくれる楽しい時間は過ぎ去って、退屈な時間が帰ってきます。

 

いつから「娯楽を消費する」側になってしまったのでしょうか?遊びの生産自体も分業するようになってしまったのでしょうか?

 

コジマ・プロダクションのマスコットキャラクターの名前は「ルーデンス」です。

デス・ストランディングは、あなたにも遊びの作り手だったことを思い出させる作品です。

 

 

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