Vtuberは4つに分類できる!
こんにちは!
前回に引き続き、Vtuberについての考察記事です。
今回も、メタ的な視点からVtuberを4つのタイプにカテゴライズしていこうと思います。
タイプ分けする基準は、Vtuberのキャラクターのあり方です。
同じVtuberと言っても、自身のキャラクターをどう扱うのか、どこに魅力を置くのかによってあり方は変わります。
自分に合ったVtuberの楽しみ方を見つける時などの参考にしてください。
※注意
・Vtuberは基本切り抜きで追っているにわかです。
・考察記事ですが、読みやすさの都合、断定形で書いてます。
・「ガワ」「設定」「中の人」とかの、メタメタで乱暴な単語を使っていきます。興醒めしてしまう方は注意してください。
目次
「ガワと中の人」
今回は、Vtuberのファンの間ではタブーである(?)「ガワ」と「中の人」の関わり方から、分類をしていきます。
Vtuberにとってのガワというのは、用意されたキャラ設定のことです。キャラクターの容姿も含みます。
アニメ的な2次元の部分です。
そして、中の人とは、Vtuberを動かす本人です。
今回の考察では4つのタイプに分類しますが、あくまでVtuberとしてのあり方の傾向であって、完全に分類できるわけではありません。
1人のVtuberでもそれぞれのタイプを行き来しています。
また、誤解を招きそうなので、それぞれのタイプの具体例を出すのは避けたいと思います。
Vtuberを少しでも見たことがある方なら、例を上げなくてもピンと来ると思うので、脳内補完してください…。
ちなみに、分類はこの図のようになっています。
それでは見ていきましょう。
「ガワ>中の人」:演技型
このタイプは、用意されたキャラ設定を演じ切ってしまうタイプです。
中の人の素がほとんど表れないまま、ガワのキャラ設定に忠実にあろうとしている状態です。
Vtuberの中では、一番2次元コンテンツ的です。
アニメ的、アイドル的とも言えます。
また、演技型にも2種類あります。
1つ目は、「中の人の演技力のスキルが高すぎるために演じきれてしまえている」タイプです。
声優をやっていたんじゃないか、というくらいのクオリティで、キャラ設定通りのVtuberを実現させています。
2つ目は、「中の人が素を出せなかったり、中の人のインパクトが小さかったりして、ガワに飲まれてしまっている」タイプです。
デビューしたてのVtuberはこうなってしまう傾向にあるように感じます。
「まだ掴めていないから、とりあえずキャラ設定通りやるしかない」という感じかもしれません。
ある意味、ほとんどのVtuberはこの2つめから始まるともいえます。
そして、だんだんと殻が破れて、他のタイプに派生していく印象です。
また、この演技型のダークサイドとして、ファンの中に「杞憂民」が生まれやすい傾向にあると感じます。
中の人が人格を全面に出さないからこそ、ファンの間に「自分たちがこのVtuberを支えなければ」という意識ができてしまい、あらゆるトラブルからVtuberを守ろうとします。
その結果、ファン同士で対立が生まれたり、他Vtuberのファンとの対立が起きたりしてしまいます。
「ガワ<中の人」:タレント型
これは、一つ目の「演技型」とは対照的で、自分の素をバンバン前に出していくタイプです。
今までの、「生主」コンテンツに、2次元のガワを追加して、面白さや受け入れられやすさをブーストしているような状態とも言えます。
生主的、テレビタレント的で、そういったコンテンツが好きな層を吸収しているように感じます。
実際に、中の人が元生主ということも多分にあり得ます。
また、良くも悪くもガワやキャラ設定を意識していないこともあります。
中の人単体でもすでに魅力的な場合が多く、ガワが変わってもVtuberとしてのアイデンティティへの影響が少ないタイプです。
すでに中の人だけでコンテンツが成立している場合、キャラ設定や容姿などは邪魔になってしまうという負の側面があります。しかし、ほとんどの場合、上手くガワを活用しコンテンツを盛り上げています。
このタイプのダークサイドとして、他のタイプに比べて、Vtuberについてのメタ発言をしたり視聴者層を卑下する発言をするVtuberが生まれやすい傾向にあります。
と言っても、もちろん極少数ですが、自ら問題発言をして炎上するVtuberは大抵このタイプであるように感じます。
「ガワ↔︎中の人」:漫才型
これはすでに前の記事で紹介したタイプです。
中の人が、ガワを演じ切ろうとしているが、演じきれていないVtuberはこのタイプに当てはまります。
中の人は、ガワの設定を意識し続けていますが、自然と溢れ出る中の人本人のキャラクターがそれに矛盾してしまっている面白い状態です。
ちなみに、タレント型のVtuberがガワの設定に忠実にあろうとすると、ほとんどの場合自然と漫才型になります。
また、悪い言い方をすれば「演技型の失敗版」ですが、中の人は素人なのでキャラ設定との矛盾があっても仕方がないことです。
このタイプは、中の人とガワの両方が深く作用して一つのコンテンツになっています。
Vtuberでなければ実現できない面白さを多分に含んでいます。
漫才型の視聴者には、5chやニコニコ動画のコメント欄のノリが好きな人が多い印象です。
実際、視聴者とVtuberとの直接的なやり取りが一番多いのがこの漫才型です。
また、比較的他タイプに比べて炎上しにくい傾向にあるように感じます。
まずキャラ設定を意識してなりきろうとしている時点で、中の人が誠実な性格なのかもしれません。
それだけではなく、すでに視聴者に散々いじられているために、「いじられてるけれど、みんなから愛されているクラスメイト」的な存在になっています。
Vtuberの中でも一番「俺たちの仲間」「ネット民」「素人」と認識されやすいタイプでもあると言えます。
「ガワ=中の人」:一致タイプ
中の人と、ガワが一体となっている状態です。
中の人は素を出しつつ、かつキャラ設定の間に矛盾が感じられない親和性が高いVtuberのタイプはこのタイプです。
または、中の人が素を出したら、勝手にキャラ設定と一致してしまうタイプとも言えます。
ガワと中の人が、互いに魅力や面白さをブーストさせ合っている状態で、もしかしたらVtuberの理想形かもしれません。
また、ほとんどのVtuberは、最終的にはこの状態になるとも言えます。
Vtuberの配信年月と、それによる視聴者の慣れによって「この組み合わせじゃないと気持ち悪い」という感想を抱かせます。
分裂前のキズナアイも、この段階にあったと言えます。
分裂後のキズナアイには、違和感しかありませんでした。
一方で、デビュー時からこのタイプのVtuberもいます。
しかし、非常にレアです。
まとめ
という感じで、「ガワ」と「中の人」の関わり方の違いだけで、Vtuberコンテンツとしてのあり方にもかなり差がでます。
ただ、1つ言えることは、Vtuberが今までのあらゆるネットコンテンツを吸収しているということです。
最初はイロモノ枠でしたが、数年後にはメインコンテンツになるポテンシャルを持っています。
そしてVtuberは勢いがある分変化も大きく、考察が面白いコンテンツであることは間違いありません。
また、Vtuberの面白さの半分以上は、視聴者のコメントにあるとも思います。
それぞれのタイプ別に、視聴者層やコメントの雰囲気も変わっているので、その違いも見てみると面白いかもしれません。
タイプ分けの説明から、私の個人的な好みが伝わってしまったかもしれませんが、私は漫才型が一番好きです。
Vtuberは「漫才無限製造機」になることができる(と思っている)ので、そういった面白さを提供するVtuberが増えてくれると嬉しいです。
それでは!
過去記事はこちらから↓
https://sekai-sora.hatenablog.jp/archive