「デス・ストランディング」2020に生まれた偉大なゲーム

 目次

 

デスストランディング

 

「デス・ストランディング(通称デススト)」は2020年に発売された、小島秀夫監督作品のビデオゲームです。

 

普通、誰かの作ったビデオゲームを「〇〇監督作品」と呼ぶことはありませんが、小嶋監督の場合は別です。彼は世界的に人気のあるゲームクリエイターで、英国アカデミーからフェローシップ賞を受け取るなど、高い評価を得ている人物です。

小島秀夫監督

小島秀夫監督

小島秀夫監督作品でもっとも有名なのは、「メタルギア」シリーズです。

 

ジャンルは超兵器「メタルギア」をテーマにしたいわゆる「戦争ゲーム」ですが、映画さながらの演出やストーリー展開などから、ゲームの枠を超えて高く評価されていました。

 

 

メタルギアシリーズ完結後、小島監督はゲームではなく映画を作りたかったそうです。しかし、最終的にはソニー(正確には、プレイステーションを開発、販売している子会社)の傘下で新スタジオを立ち上げることになります。

 

そして製作されたのが、「デス・ストランディング」です。

今回は、それがゲームなのかをお伝えしましょう。

デスストランディング、ポスター

「物を配達するゲーム」

デス・ストランディングは、「ただ物を運ぶゲーム」です。

正確に言えば、途中で敵に遭遇したり幽霊的な存在から逃げたりすることはあります。しかし、このゲームで求められることは基本「頼まれた物をA地点からB地点に届けるだけ」です。

デスストランディングプレイ画像

背中に背負っている物が、届ける荷物

なぜ物を配達するのか、という背景には当然ストーリーがありますが、それはまたの機会に説明したいと思います。

 

もしあなたがデス・ストランディングをプレイしたことがなければ、この物を運ぶというゲーム性が、はたしてゲームとして面白いのかと疑問を感じるでしょう。

しかし、この「物を運ぶ」という行為は予想以上に面白さを秘めていました。

 

「物を運ぶ」というゲーム性。その裏に隠れた、もっと大きな遊び。

「配送」や「運搬」という言葉を聞いて、どのようなイメージが湧くでしょうか?ほどんどの人が思い描くイメージは、ビデオゲームに当てはまらないものばかりでしょう。

 

しかし、デス・ストランディングで求められる行動は、まさに「配送」「運搬」です。

ある場所からある場所へ物を運ぶクエストを受注して、長い時間をかけて運搬します。重たいものを持てばバランスを崩しますし、地面にアイテムを落とせばクエスト達成時の評価が下がります。

さらに、「雨に濡れた物は劣化する」というゲーム独自の設定によって、背中に乗せた荷物はみるみるうちにボロボロになっていきます。 

デス・ストランディング画像

はたして、このようなストレスばかり与えてくるゲーム性のどのようなところが面白いのでしょうか?

 

私は、「物を運ぶ道中に、プレイヤーが作り出した遊び」こそがデス・ストランディングの面白さなのではないかと考えています。

 

 「プレイヤーが作り出した遊び」とはどのような物でしょうか?

 

それは、あなたが小学生の時、学校の帰り道で無意識に始めていた遊びに似ています。

例えば、見つけた適当な小石をどれだけ遠くに蹴り飛ばせるかという遊び。白線を踏まないように横断歩道を渡る遊び。美味しい蜜が出る花を探す遊び。または、もっと単純に誰が一番先に目印まで着くことができるか競争する遊びなどです。

「帰宅」という行動自体は、別に楽しさを生み出すものではありません。しかし、その道中で自由に遊びを作り出して「帰宅」という行動の間に楽しさを感じることはできます。

  

同様に、デス・ストランディングで求められる「物を運ぶ」こと自体も楽しさを生み出す物ではありません。しかし、小学校の帰り道のように、プレイヤーはその道中で自由に遊びを作り出すことができるのです。

 

例えば、いかに荷物を壊さないルート取りができるかという遊び。できるだけ効率よくアイテムを使ってクエストをこなす遊び。どこに梯子を設置したら後でまた使い安いかを探す遊び。いかに自分があらかじめ決めたルートに沿って進むことができるかを試す遊び、などです。

プレイヤーはクエストの過程でこのような遊びを自然と設定し、それを面白いと感じます。

デスストランディング画像

確かに、デス・ストランディングのクエストで求められることは単純で単調です。しかし、その道中で面白さを感じさせ、ひいてはゲーム全体としての楽しさを提供しているのは、プレイヤー自身が作り出した遊びなのです。

 

 デス・ストランディングの何が偉大か

デス・ストランディングが特殊なゲームだとして、どのようなところが偉大だと言えるのでしょうか?

私は、それは「人は、誰に言われるまでもなく遊びを作り出すことができると証明したこと」だと思います。

 

普段私は、「楽しい感覚にさせられる」ためにビデオゲームなど娯楽をします。ビデオゲームを通して、ゲーム製作者に楽しい気持ちにさせられることを期待しているのです。

もちろん、デス・ストランディングにも同じことを期待し、そして実際に楽しみました。

 

しかし、デス・ストランディングの場合は楽しさの後に疑問が残りました。それは、冒頭に投げかけた疑問と同じ「どうして、物を運んだだけで面白いんだろう」というものです。

 

私は、小嶋監督はあえてゲーム内のクエストを「物を運ぶ」という単調なものに設定してのではないかと考えています。

もし、ゲームが「人を楽しませる」要素で溢れていたら、誰も自分が遊んでいるなんて気づくことができないからです。

これに気付かせるきっかけを与えたことこそが、デス・ストランディングの偉大さだと思います。

 

実はこの「人は自由に遊びを作って遊ぶ」ということは、デス・ストランディングの裏テーマでもあります。

ではそもそも「遊びを作る」ということは一体どんな意味を持っているのでしょう。

デスストランディングプレイ画像

 ヒトは「遊ぶ人」である

 私たちヒトの生物学的な名称は「ホモ・サピエンス」です。ご存知の通りこれは「賢い人」という意味ですが、別の見方をすれば、ヒトは賢いからこそヒトなのだという意味にもなります。

 

では、人類は賢いがために、ここまで"繁栄"できたのでしょうか?

 

これに異を唱えたのがオランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガです。

彼は学者として世界中のさまざまな歴史を比較し研究しているうちに、ある結論に辿り着きました。それは次のようなものです。

 

「人は賢いからここまで文明を築き上げられたのではない。人が繁栄した背景にはいつも遊びがあった。遊びの中で面白さを感じて夢中になったその結果として、ここまで活動的になれたのだ。だからヒトとは"遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)"だ。」

 

一見突拍子もありませんが、私たちに「"遊ぶ"という行為を過小評価しているのではないか?」という疑問符をなげかけている点で有用な意見です。

 

日常は退屈な行動で満たされています。そしてほどんどの場合、ただ退屈なものだと受け入れて生活します。

私たちがすることといえば、その退屈な時間ができるだけ早く過ぎ去るように努力し、娯楽の時間をできる限り増やそうとすることだけです。

しかしそれでも、娯楽が与えてくれる楽しい時間は過ぎ去って、退屈な時間が帰ってきます。

 

いつから「娯楽を消費する」側になってしまったのでしょうか?遊びの生産自体も分業するようになってしまったのでしょうか?

 

コジマ・プロダクションのマスコットキャラクターの名前は「ルーデンス」です。

デス・ストランディングは、あなたにも遊びの作り手だったことを思い出させる作品です。

 

 

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【マインドフルネス瞑想】初心者用、これやっとけばいいガイド

瞑想している画像

マインドフルネス瞑想の初心者向けのやり方を紹介します。

やり方は様々ありますが、難易度があります。

今回紹介するのは、そのうちでもっとも簡単だと私が思う「呼吸瞑想」のやり方についてです。

 

この記事に書いてあるとおりに行えば、一応マインドフルネス瞑想は出来ていることになるはずです。

 

まだ初心者ですが、今のところ熟睡できるようになったりと色々効果が感じられています。

間違っているかもしれませんが、その場合はごめんなさい・・・。

 

マインドフルネスを実践したい知り合いに薦めるための記事なので、変なことは書かないはず…

 

目次

 

本編に入る前に注意点が3つ

①マインドフルネス瞑想にどんな効果があるかは割愛します。

②マインドフルネス瞑想の詳しい考え方についても割愛します。

③もっとちゃんと知りたければこの本を読んで!!

マインドフルネスストレス低減法

マインドフルネスストレス低減法

 

著者のジョン・カバットジンは、仏教の瞑想から教色を排して、マインドフルネス瞑想という形で欧米(科学界)に浸透させたマインドフルネスの権威です。

今回の記事の内容は、全てこの中に書かれています。

 

やり方の説明の前に、よくある瞑想への誤解を説いておきたいと思います。

 

よくある誤解「瞑想は、頭を空っぽにして行う」

これは間違いです。

 

そもそも、自分の思考や感情や感覚が湧き出てくることを止められる人はいません

もし、意識的に思考を止め頭を空っぽにすることが出来るならば、あなたはすでにあらゆるネガティブな感情をコントロールできているはずです。

 

では、仏教から始まる瞑想のゴールは何かというと、

どんな「外からの刺激」や「自分の中の思考や感情や感覚」に関わらず、平穏な心を保つ

ということです。

 

湧き上がる思考や感情や感覚をコントロールすることは出来ません

ですので、瞑想をしている間に「頭が空っぽ」でなくても、それは想定内です。

 

コントロールするのはあなたの注意力(集中力)です。

 

どんなに周りがうるさくても、手元の作業に集中していたために気にならなかったことはありませんか?

あることに意識的に注意を向けることができれば、そのほかのことは気にならなくなります

 

これと同じことを、マインドフルネス瞑想で行います。

 

マインドフルネス瞑想には鬱の改善や病気の回復を早める効果があることが分かっています。

あることに注意を集中させることで、過去の後悔や未来への不安、自分の現状に悲嘆してしまう感情が湧いてきても、それらが気にならなくなり、余分なエネルギーを消耗しなくなるからです。

 

説明が長くなってしまいそうなので、具体的な方法の紹介に移りましょう。

 

1. リラックスしていて、かつ眠たくならない時間帯で行う

まずは環境を整えましょう。

 

マインドフルネス瞑想は大抵場合5分から30分程度行いますが、その間は邪魔が入らないことが望ましいです。

ですので、基本的に1人でいられる時に行いましょう。

おすすめは、早朝か、学校や会社からの帰宅後です。

 

眠たくない時間にすべきなのは、マインドフルネス瞑想自体、集中力や注意力を使うからです。

 

2.  暑すぎず、寒すぎない環境で行う

服や毛布やエアコンを使うなどして、適度に調整しましょう

 

3. 椅子に座るか、仰向けに寝る

結論、体がリラックスできれば良いです。

好きは方を選んでください。

 

よく瞑想のポーズとして連想される、両足を上に向けるあぐらのような結跏趺坐(けっかふざ)がありますが、別にそれをやる必要はありません。

 

椅子に座る場合、理想は背筋を伸ばすことですが、背もたれに寄りかかっても問題ありません。

もし眠たくなってしまうようなら、背もたれに寄りかからずにやってみてください。

 

仰向けに寝る場合も、普通にベッドや布団の上で大丈夫です。

体が痛くならなければ問題ありません。

 

4. (最初は5分から)タイマーをセットする

慣れたら、時間を伸ばしてください。

 

また、タイマーがしっかり作動することを確認して下さい

確認しないと

「あれ、タイマー押したっけ?」「タイマーってちゃんと音が鳴る設定になってるっけ?」

と気になって仕方がなくなります。

 

5. 目は閉じても閉じなくても良い

強く閉じなければ問題ありません。

 

目を開きながら行う場合は、目線を映さず、2〜3メートル前方の床に視線を落とすと良いとされています。

 

また、手の位置も好きなところに置いて構いません

 

6. 呼吸に自分の意識を集中させる

ここから瞑想のスタートです。

自分が呼吸する感覚に注意を集中させてください。

例えば、鼻腔を空気が通る感覚や、お腹が膨らむ感覚などです。

 

マインドフルネス瞑想は、行っている時間の間、ずっと呼吸の感覚のみに注意を向けるようにします

 

この時の注意点が2あります

1. 呼吸をコントロールしない

呼吸に注意を集中させるのであって、意識的に呼吸をするのではありません

自然な呼吸のリズムに任せるようにしてください。

 

2. 出来れば鼻呼吸

可能であれば口は閉じていましょう。

鼻炎や風邪でできない場合は、無理をする必要はありません。

 

7. 思考や感情や感覚に注意がそれたら、それに気づく

呼吸から注意が逸れたら、まず、それに気づいてください

ある意味で、これがマインドフルネスのスタート地点です。

 

思考や感情や感覚」と言っても様々です。例えば

・かゆみ

・足の痛み

・友達との喧嘩の光景

・鳥のさえずり

・突然聞こえる、子供の叫び声

・将来の収入についての不安

・自分の体へのコンプレックス

・恥ずかしい思い出

・眠気

などです。

中でも、一番気づくべき思考は

自分は正しく瞑想できているのか

という疑問です。

 

呼吸から意識を逸らす、あらゆる思考や感情や感覚に気づいて下さい

これらの思考や感情や感覚が湧いてくることに気づくために、普段は意識しない呼吸に注意を集中させます。

 

そして、呼吸から意識が逸れることは悪ではありません

もし、呼吸から意識が逸れて、頭の中が思考でいっぱいになっても罪悪感を感じる必要はありません。

 

ちなみに瞑想を練習していくと、自分の意識がそれた瞬間に、それに気付くことができるようになります。

最初は気付くまでに時間がかかるかもしれませんが、練習するうちに上手くなっていきます。

 

この湧き出た「思考や感情や感覚」に気付いたら次のことをします。

 

8. 湧いてきた「思考や感情や感覚」に付いている「良い・悪い」のレッテルに気付き、受け入れる

人は、無意識にほぼ全ての物事を「良い・悪い」「正しい・間違っている」「好き・嫌い」などの軸で評価して分類しています。

逆に、それらに分類されないことは「どうでもいいこと」と評価されて、そもそも認識すらされません。

 

湧き上がった思考や感情や感覚に気づいたら、それらに付随している「良い・悪い」「正しい・間違っている」「好き・嫌い」というあなたが貼ったレッテルに気づきましょう

そして、そのレッテル付きの「思考や感情や感覚」をただ観察しましょう

 

例えば、瞑想中に膝に痛みを感じたとします。

普段であれば「痛み=悪」です。

しかし、瞑想中は「痛み=悪」という無意識のレッテル貼りに気づいて下さい

そして、レッテルに関係なく、痛みをあるがままに感じるようにして下さい。

 

「痛みは体からの対処すべきサインじゃん」と思うかもしれませんが、問題はそれを「悪」と捉えることで、その「悪」自体を取り除こうと体が意識的に反応してしまうからです。

サイン自体は悪ではありません。ただ、痛いという感覚を体が発しているだけです。

 

自分の意識を逸らす全ての「思考や感情や感覚」にレッテルが貼っているのは自分の価値観です。

マインドフルネス瞑想を行なっている間は、価値観に関わらず、物事をあるがままに受け入れる必要があります

 

認識した「思考や感情や感覚」を否定せずあるがままに観察して下さい

どんなに否定しようにも、すでに、この瞬間に感じたことや考えたことを変えることは出来ません。それを、自分の価値観で評価し、起こった(=変えられない)出来事を否定すること自体がエネルギーの消耗です

あるがままに感じて下さい。

 

レッテルに関係なく物事を観察できるようになると、それらは「どうでもいいこと」に分類されます(瞑想の間ではありますが)。 

 

癌患者が、治療のために無菌室という特別な空間に入るのと同じです。

瞑想中は「価値観に関係なく受け入れる時間」と捉えてみて下さい。

 

9. レッテルがあることに気づいた「思考や感情や感覚」をそのままにして、呼吸に意識を戻す

レッテルに気づくことが出来たら、「思考や感情や感覚」をそのままにして呼吸に再び意識を戻しましょう

 

レッテルに気付かず、再び意識を呼吸に戻そうとしても、相当難しいと思います

「悪い」とか「なんとかしないと」とか、逆に「とても心地よい」感覚やイメージを感じたまま、別のことに意識を向けることは、とても難しいです。

 

逆に、レッテルを気づけば、それはただの感覚、イメージ、経験でしかありません

放っておけば、呼吸に意識を戻すことは簡単になります

 

呼吸はある意味で、注意を集中させる拠点です。

呼吸に意識を向けるようにしつつ、意識がそれたらそれに気づいてまた戻ってくるしましょう。

 

10. タイマーがなるまで、6,7,8,9を繰り返す

理想は、呼吸に集中し続けられることですが、最初のうちは、絶対に意識が逸れます。

 

意識が逸れるたびに、イライラするかもしれませんが、その時は

意識が逸れる=悪

というレッテルに気づいてただ呼吸に意識を向けなおして下さい

 

まとめ

この10のステップを守れば、最低限のマインドフルネス瞑想の効果は期待できると思います。

 

毎日、10分程度行うことで効果が出ることが科学的な調査で確認されています。

 

よくある瞑想方法の紹介では「呼吸に意識をむけ、逸れたらまた戻す」と説明していますが、一番説明が重要なのは逸れた意識を戻す方法です。

今回は、そこを重点的に説明するために、長くなってしまいました。

 

私も、マインドフルネス瞑想を初めて数週間ですが、これからも練習していきたいと思います。

疑問点があれば、コメントからお願いします。

 

それでは。

Vtuberは4つに分類できる!

タイトル

こんにちは!

 

前回に引き続き、Vtuberについての考察記事です。

sekai-sora.hatenablog.jp

 今回も、メタ的な視点からVtuberを4つのタイプにカテゴライズしていこうと思います。

 

タイプ分けする基準は、Vtuberのキャラクターのあり方です。

同じVtuberと言っても、自身のキャラクターをどう扱うのか、どこに魅力を置くのかによってあり方は変わります。

 

自分に合ったVtuberの楽しみ方を見つける時などの参考にしてください。

 

※注意

Vtuberは基本切り抜きで追っているにわかです。

・考察記事ですが、読みやすさの都合、断定形で書いてます。

・「ガワ」「設定」「中の人」とかの、メタメタで乱暴な単語を使っていきます。興醒めしてしまう方は注意してください。

 

目次

 

「ガワと中の人」

今回は、Vtuberのファンの間ではタブーである(?)「ガワ」と「中の人」の関わり方から、分類をしていきます。

 

Vtuberにとってのガワというのは、用意されたキャラ設定のことです。キャラクターの容姿も含みます。

アニメ的な2次元の部分です。

 

そして、中の人とは、Vtuberを動かす本人です。

 

今回の考察では4つのタイプに分類しますが、あくまでVtuberとしてのあり方の傾向であって、完全に分類できるわけではありません

1人のVtuberでもそれぞれのタイプを行き来しています

 

また、誤解を招きそうなので、それぞれのタイプの具体例を出すのは避けたいと思います。

Vtuberを少しでも見たことがある方なら、例を上げなくてもピンと来ると思うので、脳内補完してください…。

 

ちなみに、分類はこの図のようになっています。 

分類表

それでは見ていきましょう。

 

「ガワ>中の人」:演技型

このタイプは、用意されたキャラ設定を演じ切ってしまうタイプです。

中の人の素がほとんど表れないまま、ガワのキャラ設定に忠実にあろうとしている状態です。

 

Vtuberの中では、一番2次元コンテンツ的です。

アニメ的、アイドル的とも言えます。

 

また、演技型にも2種類あります。

 

1つ目は、「中の人の演技力のスキルが高すぎるために演じきれてしまえている」タイプです。

声優をやっていたんじゃないか、というくらいのクオリティで、キャラ設定通りのVtuberを実現させています。

 

2つ目は、「中の人が素を出せなかったり、中の人のインパクトが小さかったりして、ガワに飲まれてしまっている」タイプです。

デビューしたてのVtuberはこうなってしまう傾向にあるように感じます。

「まだ掴めていないから、とりあえずキャラ設定通りやるしかない」という感じかもしれません。

 

ある意味、ほとんどのVtuberはこの2つめから始まるともいえます。

そして、だんだんと殻が破れて、他のタイプに派生していく印象です。

 

また、この演技型のダークサイドとして、ファンの中に「杞憂民」が生まれやすい傾向にあると感じます

中の人が人格を全面に出さないからこそ、ファンの間に「自分たちがこのVtuberを支えなければ」という意識ができてしまい、あらゆるトラブルからVtuberを守ろうとします。

その結果、ファン同士で対立が生まれたり、他Vtuberのファンとの対立が起きたりしてしまいます。

 

「ガワ<中の人」:タレント型

これは、一つ目の「演技型」とは対照的で、自分の素をバンバン前に出していくタイプです。

 

今までの、「生主」コンテンツに、2次元のガワを追加して、面白さや受け入れられやすさをブーストしているような状態とも言えます。

生主的、テレビタレント的で、そういったコンテンツが好きな層を吸収しているように感じます。

実際に、中の人が元生主ということも多分にあり得ます。

 

また、良くも悪くもガワやキャラ設定を意識していないこともあります

中の人単体でもすでに魅力的な場合が多く、ガワが変わってもVtuberとしてのアイデンティティへの影響が少ないタイプです。

 

すでに中の人だけでコンテンツが成立している場合、キャラ設定や容姿などは邪魔になってしまうという負の側面があります。しかし、ほとんどの場合、上手くガワを活用しコンテンツを盛り上げています。

 

このタイプのダークサイドとして、他のタイプに比べて、Vtuberについてのメタ発言をしたり視聴者層を卑下する発言をするVtuberが生まれやすい傾向にあります

と言っても、もちろん極少数ですが、自ら問題発言をして炎上するVtuberは大抵このタイプであるように感じます。

 

「ガワ↔︎中の人」:漫才型

これはすでに前の記事で紹介したタイプです。

sekai-sora.hatenablog.jp

  

中の人が、ガワを演じ切ろうとしているが、演じきれていないVtuberはこのタイプに当てはまります。

中の人は、ガワの設定を意識し続けていますが、自然と溢れ出る中の人本人のキャラクターがそれに矛盾してしまっている面白い状態です。

 

ちなみに、タレント型のVtuberがガワの設定に忠実にあろうとすると、ほとんどの場合自然と漫才型になります

また、悪い言い方をすれば「演技型の失敗版」ですが、中の人は素人なのでキャラ設定との矛盾があっても仕方がないことです。

 

このタイプは、中の人とガワの両方が深く作用して一つのコンテンツになっています。

Vtuberでなければ実現できない面白さを多分に含んでいます

 

漫才型の視聴者には、5chやニコニコ動画のコメント欄のノリが好きな人が多い印象です。

実際、視聴者とVtuberとの直接的なやり取りが一番多いのがこの漫才型です。

 

また、比較的他タイプに比べて炎上しにくい傾向にあるように感じます。

まずキャラ設定を意識してなりきろうとしている時点で、中の人が誠実な性格なのかもしれません。

それだけではなく、すでに視聴者に散々いじられているために、「いじられてるけれど、みんなから愛されているクラスメイト」的な存在になっています。

 

Vtuberの中でも一番「俺たちの仲間」「ネット民」「素人」と認識されやすいタイプでもあると言えます。

 

「ガワ=中の人」:一致タイプ

中の人と、ガワが一体となっている状態です。

 

中の人は素を出しつつ、かつキャラ設定の間に矛盾が感じられない親和性が高いVtuberのタイプはこのタイプです。

または、中の人が素を出したら、勝手にキャラ設定と一致してしまうタイプとも言えます。

 

ガワと中の人が、互いに魅力や面白さをブーストさせ合っている状態で、もしかしたらVtuberの理想形かもしれません

 

また、ほとんどのVtuberは、最終的にはこの状態になるとも言えます。

Vtuberの配信年月と、それによる視聴者の慣れによって「この組み合わせじゃないと気持ち悪い」という感想を抱かせます。

分裂前のキズナアイも、この段階にあったと言えます。

分裂後のキズナアイには、違和感しかありませんでした。

 

一方で、デビュー時からこのタイプのVtuberもいます

しかし、非常にレアです。

 

まとめ

という感じで、「ガワ」と「中の人」の関わり方の違いだけで、Vtuberコンテンツとしてのあり方にもかなり差がでます。

 

ただ、1つ言えることは、Vtuberが今までのあらゆるネットコンテンツを吸収しているということです。

最初はイロモノ枠でしたが、数年後にはメインコンテンツになるポテンシャルを持っています。

 

そしてVtuberは勢いがある分変化も大きく、考察が面白いコンテンツであることは間違いありません。

また、Vtuberの面白さの半分以上は、視聴者のコメントにあるとも思います。

それぞれのタイプ別に、視聴者層やコメントの雰囲気も変わっているので、その違いも見てみると面白いかもしれません。

 

タイプ分けの説明から、私の個人的な好みが伝わってしまったかもしれませんが、私は漫才型が一番好きです。

Vtuberは「漫才無限製造機」になることができる(と思っている)ので、そういった面白さを提供するVtuberが増えてくれると嬉しいです。

 

それでは!

 

過去記事はこちらから↓

https://sekai-sora.hatenablog.jp/archive

 

 

ROGUE COMPANY クローズドベータレビュー

こんにちは

 

今回は、PS4Xbox、PC、Switchでプレイ可能になる新作ゲーム「ROGUE COMPANY」の紹介とクローズドベータの感想をお伝えします!

ROGUE COMPANY タイトル

ROGUE COMPANYシステムは話題の「valotant」に似ているものの、このゲームはTPS(三人称視点シューティング)という点で違います。

このゲームの主な差別化の部分はそこになるかな….という感じです。

また、Switchともクロスプレイ可能というのも魅力的ですね。

 

最近Switchに移植されるPS4やPCのゲームが増えていますが、今回のようにローンチ(発売)の時点でSwitchも含まれているのは珍しく感じます。

そこがどう影響するのか、ローンチ後が楽しみなタイトルです。

 

※注意

・今回のレビューは、ベータ版のものです。システムやグラフィックは変更になる可能性があります。

・投稿日は2020/08/01です。

 

目次

 

今はまだベータ版

ROGUE COMPANY」の公式HP(https://www.roguecompany.com/?lng=ja_JP)にアクセスすると分かりますが、現在公開されているのは開発途中のベータ版。さらに、ローンチ日は今のところ不明です。

 

さらに、ベータ版へのアクセスには、アクセス権を購入する必要があります。

アクセス権にもいくつか種類はありますが、一番安いものでおおよそ1600円程度です。

PlayStationStoreの商品画面

ストア

・EpicGames

Xbox

・PS4

 

また、このゲームは基本プレイ無料となる予定です。

 

最近、オンライン対人ゲームは基本プレイ無料になるケースが多いですが、ゲーマーにとってはありがたい限りです。

対人ゲームにとって、プレイヤーが減って過疎るのは死を意味していますから、無料で提供して参加の敷居を低くする戦略は正しいと思います。

 

ゲームシステム

「チーム型」のTPS

本作の一番の特徴はTPS視点であるということです。

ROGUE COMPANY 三人称視点

TPS視点になると「自分が遮蔽物に隠れている状態でも、遮蔽物の向こう側が見える」という状態が生まれます。

言い換えると、「相手からは自分が見えていないのに、自分は相手が見えている」ということあり、その逆もあり得ます。

 

つまり、移動したり武器を構えて体を晒した時のリスクが高いということです。

自分の体を晒さなくてもクリアリングができてしまうので、「敵が見えないから移動しよう」と思っても、物陰から自分の存在をすでに確認している敵が、飛び出すと同時にこちらに撃ち込んでくる事があり得ます。

 

一方で、FPS(一人称視点)は「自分から相手が見えていなければ、相手からも自分が見えないゲーム」なので、バリバリ突っ込んで、敵を発見次第撃つというスタイルもできてしまいます。

 

本作でその戦略が通用するのは、初心者相手だけでしょう。

 

また、PS4版の商品情報には、マルチプレイ人数は2〜10人とありますが、現状ベータ版にあるゲームモードでは、1チーム4人です。

 

さらにマップは結構狭めです。CoDのマップよりは明らかに狭いですね。

 

「ローグ」と呼ばれるキャラを選択

アビリティを持ったキャラクター「ローグ」を選択して、マッチを開始します。

この辺りは、オーバーウォッチ、ApexLegents、R6Sあたりとほぼ同じです。

キャラ一覧

ローグごとに、パッシブアビリティとウルトがあり、マッチ前に選択できる武器とスキルセットが設定されています。

このローグを、試合開始前に選択します。

キャラクター詳細
また、ロックされたローグはゲーム内課金か、試合ごとに手に入る経験値で手に入ります。

この辺りは、Apexと全く同じ感じです。

 

また、ゲーム開始時点でパッシブアビリティとウルトは使うことはできますが、それ以外の武器やアイテム、アビリティは所持していません。

ハンドガンなどのサブウェポンのみです。

 

毎ラウンド始まる前に、前回のラウンドのスコアに応じて得られた所持金から、購入する必要があります。

 

キャラ共通のアビリティも、所持金から購入する必要があります。

また、武器については、同じものに追加で所持金を投入することでアップグレードもできます。

ショップ画面
どの順番で装備を解放していくのか、という戦略も生まれそうです。

 

今のところは、メイン武器とグレネード系を真っ先に解放するのが安パイっぽいです。

 

ゲームモードは、ベータ版では2種類

『ストライクアウト』は、チームデスマッチにエリア確保の要素を入れたモードです。

エリアを確保して一定時間が経つか、味方の残機がなくなれば負けです。

ストライクアウト画像
エリアは1つのマップに3箇所くらい用意されていて、ラウンドごとに確保すべきエリアが変わります。

3ラウンド先取で、比較的早めに終わるゲームモードです。

 

『デモリッション』は、爆弾の設置と解除をするモードです。

R6Sの爆弾解除モードとほぼ同じです。

残機は0で、敵を全て倒すか、爆弾を設置して時間経過するか、解除できたら負けです。

 

ベータ版の現時点では、7ラウンド制で、かつ6ラウンドごとに爆弾の設置側と解除側が入れ替わるシステムになっています。

これは今後修正されるでしょう…。

 

蘇生ができる

この感じは最近のバトロワとほぼ同じです。

倒されると一度ダウンして、時間経過か追加ダメージで死亡します。

蘇生画像

蘇生中は、2人が無防備になる

その間に見方が蘇生できれば、蘇生ができて残機を減らさずに済むという感じです。

 

ただ、この蘇生システムが、なかなか扱いが難しい!

蘇生されても体力が全回復しないので、蘇生後に敵に撃たれれば即死亡。

4人チームなので、一回蘇生している間に動けるプレイヤーは2人のみとなり、戦力に大きな差が生まれます。

そして、とても狭いマップなので回り込みが容易で、蘇生後にすぐ裏を取られて丸ごと倒される。

・・・というのが何回もあったので、チームの連携が取れているか、よっぽど自分のチームが有利でないと活きないシステムになってしまっています。

 

第一、この規模のゲームで蘇生を入れてしまうと、間延びしてしまう感があります。

ダウンしている間は、ただノロノロ移動する事しかできないので、実質的に操作ができる時間が限られてしまいます。

 

エモートなどがあり、カジュアル路線

Fortniteのようなエモート(ダンス)や、スプレーがあります。

キャラクターの雰囲気などの相まって、カジュアル路線です。

エモート

 

感想

最近流行の「少人数チーム」を、CoDっぽく実現した感じ

制作側が意識しているのは、「Apexのようにボイスチャットでフレンドと会話をしながら遊ぶ雰囲気を、CoD的なマップでも実現しましたよ」という方向性なのではないかと感じました。

 

そもそも4人チームというのは、見知らぬ野良で組むには少なすぎる人数です。

チームの人数が少ないほ、一人当たりの役割が大きくなるため、どんな味方を引き当てるかで戦力が大きく変わってしまいます。

つまり、野良では勝つか負けるかが運ゲーになるという事です。

その点、フレンドと組んでいれば連携することができるので、その心配はありません。

 

Apexも3人チームという少人数であるものの、そのメンバーと組んでプレイするマッチ時間は調整できます。

もし、偶然弱いプレイヤーと同じチームになってしまって、それが気に食わないのなら、敵に特攻して無理やりゲームを終了させることができます。

 

その点、本作はマッチ時間は固定でほぼ変わりません。

 

さらに、これはマッチングのバランスを調整すれば改善できますが、なかなか「逆転」が難しくなっています。

一度流れを持っていかれたら、残りのラウンドは全て押されて負ける、みたいな感じです。

 

ですので、一番良いのはフレンドとボイチャを繋ぐ遊び方かと思います。

 

カジュアルなようで、簡単に死ねない難しさ

本作は一見カジュアルですが、何も考えずに突っ込んでいける楽しさはありません

 

例えば、ストライクアウトでは、1ラウンドで味方チームの残機は10回しかありません。つまり、死亡できるのは10回までです。

雰囲気で言えば、CoDの方がずっとダークなのに、ゲーム性で言えば今作の方がずっとシビアです。

 

エモートなどから見られるような「カジュアルな遊び方」を期待していると、面食らってしまうかもしれません。

 

まとめ

ROGUE COMPANY」は、今人気な色々なゲームの要素を取り入れたゲームですが、現段階ではゲームシステム調整がまだまだ必要と言った感じ。

今のところは、フレンドと遊ぶ前提のゲーム調整になっています。

 

ただ、無料タイトルなので「暇な時間にちょこっと遊んでみる」楽しみ方も出来るのではないかなと思います。

 

今回のレビューは割と辛口になりましたが、ローンチ時にはアップグレードされている事を期待しています。

 

それでは!

 

【参加型漫才】Vtuberの初期の爆発的な面白さを考察してみた

サムネイル画像

 

こんにちは!

 

今回は、いま流行のVtuberについての記事です。

 

Vtuberはじわじわ浸透したというよりかは、何回かの爆発を経て拡大していったような印象です。

また、今流行っている理由と、数年前流行っていた理由も違うような気がします。

 

そこで、Vtuber登場初期に特徴的だったVtuberの面白さを考察していきます。

 

結論を端的に言うと、タイトルにもあるとおり「視聴者参加型の漫才(=Vtuberのボケと、視聴者のツッコミ)」が成立したから面白くなったのではないか、ということです。

 

考察というよりかは、すでに皆が気付いていることを改めて文章化している感じです。

Vtuberを知らない人に対して、それがどんな物なのか、どんな面白さがあったのかを説明するときにでも使って頂けたらと思います。

 

Vtuberを知らない人向けにも、できる限り分かりやすいように説明していこうと思います。

 

※注意

Vtuberは基本切り抜きで追っているにわかです。

・今回の説明は、全てのVtuberに当てはまるわけではありません。

・お笑いについても素人です。

・考察記事ですが、読みやすさの都合、断定形で書いてます。

・「ガワ」「設定」「中の人」とかの、メタメタで乱暴な単語を使っていきます。他に的確な単語が思い浮かびませんでした。興醒めしてしまう方は注意してください。

・敬称を省いて記載させていただきます。

 

目次

 

そもそも、漫才の形について

まず、漫才がどういう形で成り立っていくのかを考えます。

と言っても、「なぜ漫才は面白いのか」というところまでは踏み込みませんし、あくまで漫才の一要素のみについてのものです。

また、漫才の専門家でもないので、あくまで素人目で見た形式の説明です。

 

漫才には、「ボケ」と「ツッコミ」と「参照点」があると思います。

 

ボケがボケとして成立するには、「何かがおかしい」ということが分からなければいけません。

そのためには、ボケと「本来あるべき姿」を比べ、その差からボケを判別する必要があります。

今回は、その本来あるべき姿を、勝手に「参照点」と読んでしまいます。

 

例えば、紫色のリンゴがあるとき、それがおかしいと分かるのは、赤いリンゴとの色の違いがあるからです。

この場合、ボケは紫色のリンゴで、参照点は赤いリンゴです。

 

そして、参照点がなければ、ツッコミを入れることができません。

ツッコミは、基本的に参照点との差についての言及になります。

リンゴの例で言えば、「紫色」に対してツッコミが入ります。

 

さらに、観客も、参照点が分かっている必要があります。

さもないと、参照点とボケの差が分からず、ツッコミも理解できないからです。

 

オタク同士のジョークが、オタクでない人に通じないのと同じです。

そもそも、ボケの何がおかしいのかを理解できないと、ツッコミも理解できません。

オタク同士がニヤケあっているようにしか見えず、ジョークであることも分かりません。

 

ボケとツッコミの図式

 

参照点は「常識」であることが多い

もし、オタク仲間ではなく、より多くの人に漫才を理解してもらうためにはどうしたら良いでしょうか?

それは、参照点を誰でも分かる「常識/社会一般の共通認識」にしてしまうことです。

 

この場合、ボケは常識外れなことを言ったりします。

このとき、「本人は自分が常識的だと思っているが、実際はそうではない」というところに参照点との差が生まれで、ツッコミはそこを指摘します。

 

具体的な例として、ブラックマヨネーズのボケと参照点の違いを図にするとこんな感じになります。

ブラマヨの漫才の図式

 

また、これはコントであり漫才と呼べるか分かりませんが、サンドウィッチマンの葬儀屋のコントだとこんな感じです。

サンドウィッチマンのコントの図式

 

ちなみに、ボケが「自分の言うことが非常識で当然」というスタンス場合は、常識を参照点にしてもツッコミを入れられません。

本人が非常識を自覚しているのに、非常識を指摘しても、ただ当たり前のことを言っているだけだからです。

参照点の設定を間違えると、的違いなツッコミになってしまいます。

 

少し極端な例で説明してみると、

例えば、「客室乗務員なのに飛行機が苦手」というボケに対して、「でもお前男じゃんww」みたいなよく分からないツッコミを入れたとしたら、それはツッコミ側の考えている参照点がおかしいことになります。

本来は「客室乗務員なら飛行機は平気」という常識が参照点になるはずです。

この場合、なぜだかツッコミは「客室乗務員は女性ばかり」という参照点を設定して、性別という差にツッコミを入れてしまったようです。

 

日常生活でも、ツッコミが上手い人は、まず参照点をどこに設定するかが上手い気がします。

「的確なツッコミ」というわけです。

 

常識を参照点にすると辛辣になりやすい

これは、あくまで私の感想なので批判する意図があるわけではありませんが、常識とボケを比べてしまうと、どうしてもツッコミは辛辣になりがちな気がします。

 

というのも、「普通でない」ことに対して、日常生活で向けられる視線はあまり好意的ではありません。

きっと、そういう社会的な背景から、常識を参照点にするとツッコミが辛辣な罵倒に近くなってしまうのではないでしょうか?

 

また、ボケの「非常識」を、実際に常識だと思っている人もいます。

その場合、漫才であるという前提が分かっていても、そのツッコミに快く思うことはできないでしょう。

 

参照点が、誰にでも分かる現実世界のものにしてしまうことによる弊害だと思います。

 

Vtuberにも「キャラ設定」という参照点がある。

以上のように、漫才の特徴を説明してきましたが、Vtuberにも参照点があります。

それは、「キャラクター設定」。乱暴な呼び方をすれば、「ガワ」です。

 

Vtuberも、「ボケ」と「ツッコミ」と「参照点」がの条件が揃い、漫才のような状態になることがあります。

そして、その漫才的な面白さがVtuberの特徴とマッチして、初期の爆発的な人気につながったのではないかと思います。

 

では、まずVtuberのボケと参照点について説明していきます。

 

Vtuberにおける「ボケ担当」となるのは、Vtuberを演じる本人、「中の人」です。

そして、参照点は「ガワ」です。

この時ガワは、キャラ設定という形で公開されるので、視聴者の共通認識になっています。

 

この中の人は、ガワに近づこうとしますが、そもそもガワのキャラ設定は一般的なアニメキャラのような「理想の存在」的設定なので、追いつくことはなかなかできません。

また、中の人がぶっ飛んでいて、どう考えてもガワの逆方向に向かっている場合もあります。

この場合も、キャラ設定に追いつく事はできません。

 

しかし、本人は「ガワを演じ切ろう」、「自分こそがキャラ設定の体現者だ」とロールプレイをします

ところが、これもは無理があるので、結果的に演じきれずボロができます。

 

これがボケです。

 

この時、Vtuber本人の言動と、視聴者が皆知っている参照点(ガワのキャラ設定)との差が生まれます

Vtuber本人は、自分がそのキャラクターのように振る舞っているけれど、流石に無理がある」という差です。

こうして、視聴者がツッコミ担当となり、Vtuberに対してツッコミを入れることで、Vtuberコンテンツは漫才の形態をとるというわけです。

 

こうして、視聴者はあたかも自分が漫才に参加しているような感覚になることができます。

少し冷たい表現をすれば、視聴者が自分を、漫才ができる面白い人間であるかのように錯覚することができてしまいます。

 

この状態を「Vtuber漫才」と呼ぶことにます。

 

Vtuber漫才の図

 

Vtuber漫才の例①:のじゃおじ

かつてVtuber四天王の1人に数えられた『のじゃおじ(バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん)』は、まさにVtuber漫才の形態を取っていました。

のじゃおじの場合

中の人は一般的な男性なのですが、少女のような動きをしてモーションキャプチャを使い3Dの狐娘のキャラクターを動かし、「のじゃ」という語尾を徹底していたVtuberでした。

しかし、致命的なことに「技術的なリターンに見合わない」という理由から声は加工せず、男性声で少女ロールプレイを続けるという、ツッコミどころしかないVtuberです。

視聴者は、このあからさまなボケに対して、とにかくツッコんでいくという感じで楽しんでいたと思います。

 

中の人は、現在引退して、youtuberチャンネルを運営しています(https://www.youtube.com/channel/UC5UbdI4CJ-BwFudca9nzNlg
 

Vtuber特有の条件が、Vtuber漫才を面白くした

ここまで読んでいただいて、「でも、参照点を持って漫才の形態をとるのはVtuberだけではないな」と感じると思いますが、それは全くその通りです。

しかし、Vtuber特有のいくつかの要素が、このVtuber漫才を特殊なコンテンツに変化させました。

 

ここでは、Vtuber漫才の特徴をいくつか紹介します。

 

特徴①:「ツッコミが辛辣にならない」

Vtuberのガワというのは、大抵の場合2次元的なキャラクターの延長として設定が用意されているので、現実ではありえないくらい容姿が良かったりスペックが高かったりします。

ですので、中の人が参照点(キャラ設定)に追いつけなくても仕方がありません

仕方ないのだけれど、本人がボロを出すので、視聴者はツッコまずにはいられないというわけです。

この時点で、ツッコミの熱が少し和らいでいる状態です。

 

さらに、参照点がキャラ設定という「作られたもの」なので、それに違反していても現実的な問題にはなりません。

 

例えば、設定が「清楚」であって、中の人が清楚とは言い難い言動をした場合のツッコミは「全然清楚じゃないじゃないか」となります。しかしそれは、「設定と全く違うじゃないか」というツッコミの言い換えです。

 

「常識を参照点にしたツッコミは辛辣になりやすい」と述べましたが、常識に追いつけない時には「仕方ない」では済まない場合が多いのではないでしょうか。

それゆえの辛辣さな気がします。

 

「社会人としておかしい」「人としておかしい」ではなく、「設定と違う」という指摘ならば、辛辣な言葉や罵倒にはなりえません

 

Vtuber漫才の例②:月ノ美兎

月ノ美兎の場合

今やVtuberの中で一番大御所とも言える月ノ美兎も、最初期からVtuber漫才の形式でした。

委員長という設定であり、アニメでいうところの「清楚キャラ」なのですが、ワードチョイスや趣味などから「清楚」とは思えない過激な発言をします。

毎回の生放送で「きりーつ、気をつけ」という挨拶をすることから、本人には清楚キャラを維持していこうという意思はあるようですが、残念ながら、中の人の個性がそれにフルブレーキをかけています。

 

視聴者が「清楚」という単語をコメントを打つときは、必ず「清楚であって欲しい」という文脈の中で使われます。

 

本人がキャラ設定を意識しながらも、それが達成されず、視聴者がツッコむという、Vtuber漫才のお手本のような例です。

 

チャンネル↓

https://www.youtube.com/channel/UCD-miitqNY3nyukJ4Fnf4_A

 

特徴②:「ツッコミを思いつくのが容易である」

Vtuberの参照点となる「キャラ設定」は、誰にとっても明らかです。

キャラ発表時に公式が公開しますし、何よりVtuber本人が説明します(場合によっては聞き飽きるくらいに)。

そのため、簡単に参照点と中の人との差に気づけます。

 

結果、視聴者は簡単にツッコミが思いつき、簡単にコメントに参加することができます

 

さらに、視聴者全体が似たようなツッコミを思いつくので、コメント欄内の一体感が生まれやすいという特徴を生みます。

 

Vtuber漫才の例③:宝鐘マリン

宝鐘マリンの場合

ホロライブ所属の宝鐘マリンは、比較的最近登場したVtuberですが、まさに初期のVtuberのような面白さを今でも発揮しています。

 

船長(宝鐘マリン)がボケて、視聴者がノリノリでツッコむという形式は、生放送の面白さのかなりの部分を占めています。

 

チャンネル↓

https://www.youtube.com/channel/UCCzUftO8KOVkV4wQG1vkUvg

 

特徴③:「秀逸なツッコミが生まれやすい」

特徴②にあるように、ツッコミ自体を思いつくのは簡単です。

かといって、面白いツッコミが生まれないわけではありません。

 

「参照点と中の人の差」が視聴者共通のお題となり、「いかに面白いツッコミをするか」という大喜利大会の様相になります。

 

数千、数万の視聴者がいれば、誰かが秀逸なツッコミを生みます

さらに、1人でも秀逸なツッコミをすれば、Vtuber漫才は面白いものになります。

 

誰でもツッコめるからといって、チープな漫才になるのではなく、実際に面白かったりするのがVtuber漫才の特徴です。

 

Vtuber漫才」となる条件

Vtuber漫才を面白いと感じるかはともかく、まさに漫才的な形態をとることが分かって頂けたでしょうか?

 

最後に、Vtuber漫才が発生する条件を紹介します。

これを全て満たしていないと、漫才の形式にはなりません。

 

1.ガワと中の人との間に、明らかな差があること。

→中の人が、キャラ設定のハイスペックに追いついてしまっている場合は、ツッコめない。

2.中の人がガワと自分を同一視している(かのようにロールプレイしている)こと。

→中の人が、ガワのキャラ設定をそもそも放棄している場合は、参照点自体が存在しないのと同じ。

3.視聴者がコメントを打つことができる。

 

以上の3つです。

Vtuberを見ていると、これらの条件を満たしていない場合も多くあることに気付くと思います。

特に、最近登場するVtuberはこの条件を満たしていない傾向にある気がします。

 

もちろん、だからといってどうというわけではありませんし、それはそれで新しいコンテンツの形として成立しています。

 

ただ、私は個人的に、Vtuber漫才に現れるようなVtuber特有の面白さがあまり見られなくなってしまうことが残念に思えます。

 

次回は、Vtuberがそれぞれがどのようなコンテンツを提供しているのかという分類分けと、Vtuberが最終的に行き着くであろうキャラクターのあり方を考察します。

sekai-sora.hatenablog.jp

 

それでは!

 

 

普段は、ビデオゲームのレビューや考察記事を書いています。

今までの投稿はこちら↓

https://sekai-sora.hatenablog.jp/archive 

ゲームのコントローラーのカメラ感度を統一してくれないか?

battlefield1 プレイ画像

こんにちは

 

今回は、タイトルにもあるとおり、スティック操作のビデオゲーム(主にPS4とかSwitchとか)のカメラ感度が統一されていないことに対する愚痴です。

 

今までやってきたほぼあらゆるゲームで、カメラ感度に苦しめられてきました。

カメラ感度が関係ないのは、コマンド操作がメインのジャンルくらいだと思います。。

 

みんな苦しんでそうなのに、話題に上がらない…

この記事の目的の一つは、「カメラ感度に苦しめられているプレイヤーはあなただけではない」というメッセージを伝えることです。

だから、どうと言ったわけではありませんが…。

 

ともかく、カメラはビデオゲーム体験においてとても重要な役割を担っているはずなのに、あまり重要視されていなのではないでしょうか。

 

細かなエイム操作が必要なシューティングゲームはともかく、アクションゲームでさえも、状況の把握のためにカメラ操作が手に馴染むことは重要です。

さらには、三人称視点でキャラクターのアクションを操作しつつも、銃を使ってエイムする必要があるゲームもあります。

 

まず、カメラ感度を蔑ろにしていると感じるゲームの特徴をいくつか紹介します。

 

  1. 10段階しか用意していない。
  2. スティックを倒すと変な加速が入って、なおかつ調整できない。
  3. 逆に、カメラを倒してもすぐに反応しない。
  4. スティックをニュートラルに戻しても、カメラ移動の慣性が働いて、止まってくれない。
  5. シリーズものの作品なのに、前作と同じ数値にしてもカメラ感度が違っている。

 

ちなみに、アンチャーテッドという作品は、こんな感じの設定です。

オートエイムやエイムアシスト前提のゲームだと、こういう感じになってしまうのかもしれませんが...。

 

スティックを使う全てのゲームのカメラ感度を統一して欲しい

統一しないと発生するデメリットを紹介する前に、何を言いたいのかを説明します。

 

共通のプラットフォームから発売されるゲームのカメラ感度を、共通の規格を作るか、ゲーム機側で実装して欲しい。スティックによるあらゆるカメラ操作を共通化して欲しい。

ということです。

どの傾きから、スティックが倒されているかを定義する「デッドゾーン」も含まれます。

 

例えば、PS5で発売される全てのゲームは、PS5側で決められたカメラ感度をゲーム内に実装しなければいけない。とか。

または、大手ゲーム数社(UBISOFTとEAとか)が連携して、同じカメラ感度の数値にしたら、違うゲームでもカメラの挙動が同じになる、みたいな感じでもいいです。

 

欲しい欲しいと言っているばかりになってしまいますが、プレイヤーからはどうすることもできません..。

ともかく、頑張って共通化して欲しい!

 

なぜなら、次のようなデメリットがあるからです。

 

通化しないと起こるデメリット

1 酔う

違うゲームを起動した途端、前までやっていたゲームと同じ右スティックの動きをさせても違う挙動をするわけですから、場合によっては酔います。

私は、『アンチャーテッド4 海賊王と最後の秘宝』で酔いました。

 

2 上達が遅くなる

全てのゲーマーが上達を目指しているわけではありませんが、カメラ感度が自分に合うことは上達の上では必須です。

 

その点で、新しいゲームを買うたびに、1から感度を設定し直さなくてはいけないのは面倒くさいです。

感度だけならともかく、デッドゾーンや加速度や、スティックの倒し方による感度マッピングも含めたら、それら全てを最適化するのにかかる時間は膨大です。

 

3 新しいゲームへの参入障壁が上がる。

FPSゲームに顕著だと思いますが、一度とあるゲームで最高の感度調整が見つかったら、他のFPSゲームには手を出したくなくなります。なくなりません?

特に、ヘッドショットを連発できるくらいまで手に馴染んでいたら、他のゲームでもその感度を実現させて欲しいと感じるようになります。

 

私の場合は、BF1で最高の感度を手に入れて、ApexLegendsの感度設定で一度挫折しました。

キャラクターの足の早さや、しゃがみの挙動が違うのは当然としても、培ってきたはずのエイム力も失われます。

これは、FPSプレイヤーにとっては非常に残念。

 

さらに、開発側にとってもデメリットだと思います。

「このゲームはカメラ感度がとても素晴らしい!」みたいに、独自のカメラ感度で差別化して注目されることはほとんどありませんから、共通化してしまうべきではないでしょうか?

 

カメラに関しては、PCに軍杯

この点では、マウスを使って操作するPCは最高です。

「振り向き何センチ」という、絶対的な数値で調整できるからです。

 

スティックの場合は、何かを基準にしてカメラ感度を測ることはできません。

全て感覚を頼りに、細かい数値を決めるしかありません。

 

FPSのメインストリームが、未だにPCなのもそのせいでしょう。

逆に、スティックでの感度の規格化ができれば、例えばPS5などのコンシューマはもっと影響力が増すはずです。

チーターもいないし、プレイヤーは共通の環境でプレイすることになるので、スポーツの点から見てよっぽどフェアです。

 

ただ、問題はTPS(三人称視点)ゲームです。

主に、銃とキャラクター自身のアクションを駆使するアクションゲームです。

 

これは、すでにPCよりもコンシューマが覇権をとっています。

アクションゲームにはPS4限定のものも数多くあります。

しかし、カメラ操作の重要性はFPSと変わりません。

FPSゲーマーにはPCという逃げ道がありますが、アクションゲームはそうではありません。

 

私も、Horizon:ZeroDawnというTPSアクションゲームでカメラに悩まされました。

 

カメラ感度の統一が強く望んでいるのはFPSゲーマーかもしれませんが、まずは、アクション体験を充実させるという名目からでも、統一して欲しいです。

 

ということで、1ゲーマーの強い願いでした。

 

 

【PS4】コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア

【PS4】コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア

  • 発売日: 2019/10/25
  • メディア: Video Game
 

 

 

【新作バトロワ】HyperScapeは、可能性の塊だと思う(Part2)

 

新作バトロワFPS「HyperScape」の考察記事、Part2です!

 

前回の記事(Part1)では、HyperScapeは「仮想の世界が舞台」だからこそ、運営は設定に囚われることなく純粋な楽しさを追求できるという可能性について説明しました。

まだ読んでいない方は、先にそちらを読んでください。 

sekai-sora.hatenablog.jp

  

今回はその続き。

仮にFPS大好きゲーマーの私の望み通り、運営が新しいゲームモード(ルール)や仕様やイベントをバンバン追加してくれたらどうなるのか、という話です。

 

 

「仕様が変わったら追いつけないじゃん!」

まず出発点として、一つの疑問から入りたいと思います。

それは、「そんなにコロコロ要素が追加されたら落ち着いて楽しめないのでは?」というものです。

 

特に技量を要求される競技的なFPSでは、決まったルールの中で、最適なスキルや戦略を練るはずです。

私は、プロゲーマーの領域にかすったことすらないので、あくまで想像ではありますが…

例えば、

・マップの中での有利ポジションを探したり

・武器のリコイルコントロールを習得したり

・キャラクターの挙動(キャラコン)を把握したり

と言った感じです。

 

基本的に、視聴者も同じルールを共有しているからこそ、競技は成り立つもの

そのためには、ルールや仕様はできる限り変えるべきではありません。

 

ルールの固定の大事さを極端に例えるなら、ある日突然、サッカーでタックルがOKになるみたいなものです。

世界中で混乱が起きますし、それはもはやサッカーとは呼べません。

というより、スポーツの場合、ルールそのものがスポーツを定義しているようなものです。

 

しかし、ビデオゲームに限っては、ルール自体がゲームなのではなく、ルールはあくまでパッケージを構成する要素でしかありません。

その点で、ビデオゲームにおけるルールというのは、開発者によって意図的に固定されています。

 

『アップデート対応戦争』

ただ、ビデオゲームにおけるルールの変更は特別なことではありません

それは、ゲームプレイをより良くするためのアップデートです。

 

プレイヤーは、なんだかんだ、このアップデートに対応してきました。

というより、対応できないプレイヤーは辞めていっています。

 

発売から月日が経っている対戦型ゲームの勝敗を分けているのは、純粋な技量というよりかは、いかに早くアップデートに対応できたかと言えるくらいです。

昨日使っていた武器が、突然弱体化が入って使い物にならなくなるなんてことは良く起きます。

 

まさに、アップデート対応戦争が起きています。

 

正直「せっかく編んだ戦略が…」と言った感じで、今までの努力が水の泡になるような感じがして、個人的にはアプデは好きではありません。

特に、自分の気に入っている装備が弱体化を食らうと萎えます。

さらに、一つの物を極めたい、使い続けたい職人気質な人にとっては、アプデは歓迎されないと思います。

 

「イナゴ」という言葉もありますね。

アップデートである武器が強くなったら、すぐ乗り換える人のことを揶揄する言葉です。

私は、そういうプレイ方針は全く問題ない(むしろ歓迎)と思うんですが、勝ちのためにこだわりを捨てる、節操のないプレイヤーだと感じる人もいるようです…。

 

なら、アップデートへの対応の速さを競うゲームにしたら?

HyperScapeに話を戻しましょう!

もし、運営や開発者が、面白そうな要素をバンバン入れたら、それこそアプデどころの話ではなくなります。

「終盤はここからこうやって、こういう風に移動して」みたいな戦略が、気まぐれなイベントでパーです。

 

ただ、逆に、『いかに早く、新しい要素に適応できるか、という遊び』にしてしまえば良いのではないでしょうか?

 

プレイヤーは、純粋な技量よりも、環境への対応の速さを求められます。

 

過去の仕様にも囚われず、未来の戦略も気にせず、ただ目の前の環境に集中する。

という、禅のようなゲームになるでしょう。

 

そもそも、バトロワ自体、アドリブの上手さを競っていたところがあります。

その点で、相性はいいと思います。

 

Shroudも、自身の才能は「新しいゲームで、誰よりも早く上手くなれる」ことだと語っています。

GOAT翻訳さんの動画です↓

youtu.be

こういう感じで、適応の速さも、競う対象になってもおかしくないと思います。

 

変化する時代に、適応をテーマにしたゲームを

というと、いかにもビジネス書のタイトルっぽいですが、ゲーマーとして、こういうゲームはあって欲しいと思います。

 

話は変わりますが、DeathStrandingの登場で、ビデオゲームに新しい「遊び」が加わりました。

今まで気付いていなかった日常の遊びを、ゲームとして再認識するっていうことは、とても学びが大きかったです。

 

同じように、ビデオゲームが啓蒙(というと言い過ぎですが)や新しい遊びの発見の場になってくれるととても嬉しいです。

そして、HyperScapeにはその下地があります!

 

オープンワールドだと、若干要素がごちゃごちゃになりがちなUBISOFTのゲームですが、レインボーシックスやトライアルズのような遊びに特化したゲームでは、かなりの質の高さを提供してきています。

期待ですね!